人手不足や物価高の影響により、賃上げの必要性はますます高まっています。
一方で、仕入コスト、物流コスト、エネルギー費、人件費も上昇しており、
中小企業にとって「適正な利益を確保すること」は大きな経営課題です。
賃上げを実現するためには、社内努力だけでなく、
取引先との価格交渉・価格転嫁に取り組むことが欠かせません。
中小企業庁も、価格交渉に必要な準備やポイントをまとめた
「中小企業・小規模事業者の価格交渉ハンドブック」を公開しています。
この記事では、価格交渉を進めるための実務ポイントと、
賃上げ原資を確保するために税理士事務所ができるサポートについて解説します。
1.賃上げ圧力は高い水準で続いています
2026年春季労使交渉では、賃上げ率が高い水準を維持しています。
連合が2026年4月3日に公表した第3回回答集計では、
平均賃金方式で回答を引き出した組合の加重平均は
5.09%、300人未満の中小組合では
5.00%とされています。
また、令和7年度の地域別最低賃金の全国加重平均は
1,121円となり、前年度から66円引き上げられました。
人材確保や定着のためにも、賃金水準の見直しは避けて通れないテーマです。
ただし、賃上げには原資が必要です。
利益が十分に確保できないまま人件費だけが増えると、
資金繰りや設備投資、将来の成長余力を圧迫することになります。
2.「過度な我慢経営」は会社を弱くします
「取引先に値上げをお願いしにくい」
「価格交渉をすると取引を失うのではないか」
という不安から、原材料費や人件費の上昇分を自社で吸収し続けている会社もあります。
しかし、過度な我慢経営を続けると、次のようなリスクが高まります。
- 利益が減少し、資金繰りが苦しくなる
- 賃上げができず、人材の定着や採用が難しくなる
- 設備投資や人材育成に回す資金が不足する
- 品質やサービス水準を維持できなくなる
- 経営者や従業員の負担が増え、疲弊する
適正な価格をいただくことは、単なる値上げではありません。
会社を継続し、従業員を守り、取引先へ安定した品質やサービスを提供し続けるための重要な経営活動です。
3.価格交渉は「感覚」ではなく「数字」で行いましょう
価格交渉を進めるには、まず自社の原価構造を把握する必要があります。
「コストが上がっているので値上げしてください」だけでは、取引先の理解を得にくい場合があります。
交渉前に、次のような数字を整理しましょう。
- 原材料費の上昇額
- 電気代・燃料費・物流費の増加額
- 最低賃金や人件費の上昇額
- 外注費や仕入単価の変動
- 商品別・取引先別の粗利益率
- 値上げしない場合の利益への影響
- 賃上げに必要な年間原資
中小企業庁の「価格交渉・転嫁の支援ツール」では、
価格交渉ハンドブックや、商品別・取引先別の収支状況を確認できる価格転嫁検討ツールなどが紹介されています。
こうした資料を活用することで、交渉の根拠を整理しやすくなります。
4.労務費の価格転嫁は、公的にも重要なテーマです
価格交渉というと、原材料費や燃料費の上昇を理由にするものと思われがちです。
しかし、近年は労務費の上昇分を適切に価格へ転嫁することも重要なテーマになっています。
内閣官房および公正取引委員会は、
「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」を策定し、
発注者・受注者の双方が取るべき行動を示しています。
この指針では、発注者は、受注者から労務費の上昇を理由とした価格転嫁を求められた場合には、
協議のテーブルにつくことが重要であるとされています。
また、労務費の転嫁を求めたことを理由に、取引停止などの不利益な取扱いをしないことも示されています。
つまり、賃上げ原資を確保するための価格交渉は、単なる「お願い」ではなく、
取引適正化の観点からも正当な経営活動といえます。
このような公的な指針を踏まえることで、
経営者は労務費を理由とした価格交渉に取り組みやすくなります。
5.パートナーシップ構築宣言も確認しましょう
価格交渉を進めるうえでは、取引先が
パートナーシップ構築宣言を行っているかどうかも確認するとよいでしょう。
パートナーシップ構築宣言は、サプライチェーン全体での共存共栄や、
下請取引の適正化、価格転嫁への対応などを企業が宣言する仕組みです。
政府は、中小企業等が賃上げの原資を確保できるよう、
労務費、原材料費、エネルギーコストの上昇分を適切に転嫁できる環境整備を進めています。
取引先が宣言企業である場合、
価格交渉を申し入れる際に、
「パートナーシップ構築宣言の趣旨に沿って、労務費・原材料費・エネルギーコストの上昇分について協議したい」
と伝えることで、話し合いの入口を作りやすくなります。
発注側企業にとっても、取引先との適正な価格形成は、
安定した供給体制や品質維持につながる重要な取組です。
価格交渉を「対立」ではなく「取引継続のための協議」として位置づけることが大切です。
6.価格交渉を進める5つのポイント
(1)業界・同業他社の動向を確認する
まずは、自社の業界で価格改定が進んでいるかを確認しましょう。
業界団体、大手企業のプレスリリース、新聞報道、地域の会合などから情報を集めることで、
交渉のタイミングや説得材料を得やすくなります。
(2)交渉する順番とタイミングを考える
取引先が複数ある場合は、影響力の大きい取引先や、価格改定に理解を示しやすい取引先から始める方法があります。
業界や地域のプライスリーダーが価格改定に応じると、他社との交渉も進めやすくなる場合があります。
(3)書面で事前に申し入れる
価格交渉は、口頭だけでなく、書面で申し入れることが望ましいです。
現在の取引条件、コスト上昇の内容、希望する改定内容、改定時期などを明確にしておくことで、
交渉が進めやすくなります。
(4)説明資料を準備する
原材料費、エネルギー費、労務費、物流費などの上昇を示す資料を準備しましょう。
単に「値上げしてください」とお願いするのではなく、
「このコストがこれだけ上がり、現行価格では適正利益を確保できない」と説明することが重要です。
(5)自社の付加価値や代替案も示す
価格交渉は、値上げだけを求める場ではありません。
自社が提供している品質、納期対応、技術力、提案力、アフターサービスなどの付加価値を伝えることも大切です。
仕様変更、ロット数の見直し、納期調整、工程改善など、双方にとって納得しやすい代替案を用意すると、
交渉が前向きに進みやすくなります。
7.発注後の価格変更にも備えておきましょう
Webサイト制作、出版物制作、建設工事、受注生産品など、
見積段階と完成段階で作業量や原価が変わりやすい業務では、
あらかじめ見積書や契約書に取引条件を明示しておくことが重要です。
- 見積金額の前提となる仕様・数量・納期
- 追加作業が発生した場合の料金
- 原材料費や外注費が大幅に変動した場合の再協議条項
- 修正回数や対応範囲
- 納期変更や仕様変更があった場合の取扱い
想定外の作業量やコスト増加が発生した場合には、
できるだけ早く取引先へ状況を説明し、再交渉することが重要です。
早期の相談が、トラブル回避と信頼関係の維持につながります。
8.賃金水準を確認し、賃上げ原資を試算しましょう
賃上げは、社員の生活を支え、人材定着や採用力を高めるうえで重要です。
ただし、利益が十分に確保できていない状態で賃上げを続けると、資金繰りを圧迫する可能性があります。
賃上げを検討する際には、次のような数字を確認しておきましょう。
- 現在の人件費総額
- 賃上げによる年間人件費の増加額
- 社会保険料など会社負担分の増加額
- 価格改定で確保すべき売上・粗利益
- 賃上げ後の損益分岐点売上高
- 同業・同規模企業の賃金水準
TKC全国会が発行する令和8年版「中小企業の賃金指標」には、
全国の450,912企業、1,857,891人の社員の賃金データが収録されています。
業種別・地域別・年齢別・従業員規模別の賃金水準を確認できるため、
採用・定着に必要な賃金水準の検討に役立ちます。
9.価格交渉は会社全体で取り組む経営課題です
価格交渉は社長だけの仕事ではありません。
営業担当者、製造現場、管理部門、経理担当者など、
会社全体で情報を共有し、取り組むべき経営課題です。
現場が把握している追加作業や納期対応の負担、
経理が把握している原価や利益率の変化、
営業が感じている取引先の状況を共有することで、
より説得力のある価格交渉ができます。
適正利益の確保が、持続的な成長と賃上げの原資になります。
全社で価格交渉力を高めることが、これからの中小企業経営では重要です。
10.税理士事務所ができるサポート
価格交渉や賃上げを進めるためには、根拠となる数字の整理が欠かせません。
税理士事務所では、次のようなサポートが可能です。
- 商品別・取引先別の粗利益分析
- 原価率・限界利益率の確認
- 損益分岐点売上高の試算
- 価格改定による利益改善額の試算
- 賃上げによる人件費増加額の試算
- 社会保険料を含めた会社負担額の確認
- 資金繰りへの影響確認
- 経営計画書・価格交渉資料の作成支援
- 賃金BAST等を活用した賃金水準の確認
- パートナーシップ構築宣言や労務費転嫁指針を踏まえた交渉資料の整理
「どの取引先から価格交渉すべきか」
「何%値上げすれば利益が確保できるか」
「賃上げしても資金繰りが大丈夫か」
といった点は、数字で確認することが重要です。
11.まとめ
原材料費、エネルギー費、物流費、人件費が上昇するなかで、
中小企業が適正利益を確保するには、価格交渉力を高めることが欠かせません。
過度な我慢経営を続けると、資金繰り悪化、人材流出、品質低下につながるおそれがあります。
価格交渉は、会社と従業員を守り、取引先へ安定した価値を提供し続けるための重要な経営活動です。
労務費の転嫁指針やパートナーシップ構築宣言など、価格交渉を後押しする公的な枠組みも整備されています。
価格交渉を成功させるには、原価上昇や人件費増加を数字で示し、
自社の付加価値や代替案も含めて説明することが大切です。
賃上げや価格転嫁に不安がある場合は、早めに税理士事務所へご相談ください。
参考資料
- 中小企業庁「価格交渉・転嫁の支援ツール」
- 中小企業庁「中小企業・小規模事業者の価格交渉ハンドブック」
- 公正取引委員会「労務費の適切な転嫁のための価格交渉に関する指針」
- 内閣官房「パートナーシップによる価値創造のための転嫁円滑化の取組について」
- 厚生労働省「令和7年度 地域別最低賃金の答申」
- TKC全国会「令和8年版 中小企業の賃金指標」
- TKC「中小企業の賃金指標(BAST)」
※価格転嫁・最低賃金・支援制度に関する情報は更新されることがあります。
公開時・更新時には最新情報をご確認ください。







